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横浜地方裁判所 昭和24年(ワ)56号 判決

原告 鈴木清吉 外四名

被告 国

訴訟代理人 友広日出夫 外一名

主文

被告は原告鈴木清吉に対し、別紙第二目録記載(二)の建物二棟(別紙図面建物#1、#2)のうち同第一目録記載イ、ロ、ホの地上に存する部分を収去して同第三目録記載の土地を明渡し、同地に対する昭和二十二年五月一日以降同二十三年十月十日迄は坪当月額金四銭の割合による、同年同月十一日以降同二十五年七月三十一日迄は坪当年額金五円六十三銭の割合による、同年八月一日以降明渡済に至る迄は坪当月額金一円十三銭の割合による金員及び別紙第三目録記載(三)の(イ)及び(ロ)の土地のうち東部の一角二百十八坪三合六勺(別紙図面Pの部分)に対する昭和二十二年五月一日以降同三十年九月十三日迄前記と同じ割合による金員並びに横浜市港北区恩田町字井戸久保二干百十五番

一、田(現況宅地)一畝十四歩のうち南部の一角二坪四合三勺(同図面Qの部分)に対する昭和二十二年五月一日以降同三十一年一月十日迄前記と同じ割合による金員を支払え。

同原告その余の請求を棄却する。

二、被告は原告鈴木貞雄に対し別紙第二目録記載(四)、(五)、(六)の物件を収去して別紙第一目録記載(二)の土地を明け渡し、同地に対する昭和二十二年五月一日以降同二十三年十月十日迄は坪当月額金四銭の割合による、同年同月十一日以降同二十五年七月三十一日迄は坪当年額金五円六十三銭の割合による、同年八月一日以降明渡済に至る迄は坪当月額金一円十三銭の割合による金員を支払え。

同原告その余の請求を棄却する。

三、被告は原告鈴木清平に対し、別紙第二目録目の建物二棟(別紙図面建物〈1〉、〈2〉)のうち同第一目録記載(ヲ)の地上に存する部分及び同第二目録記載(一)のうち一、木造鉄板葺平家建住宅一棟を収去して右(ヲ)の土地のうち西南部及び西北部の各一画を除いた部分(同図面EFの部分からQ2の部分を除いた残余)四百四十九坪六合九勺を明渡し、同地に対する昭和二十二年五月一日以降同二十三年十月十日迄は坪当月額金四銭の割合による、同年同月十一日以降同二十五年七月三十一日迄は坪当年額金五円六十三銭の割合による、同年八月一日以降明渡済に至る迄は坪当月額金一円十三銭の割合による金員及び前記西北部の一画(同図面Q2の部分)三十二坪八合八勺に対する昭和二十二年五月一日以降同三十一年一月十日迄前記と同じ割合による金員を支払え。

同原告その余の請求を棄却する。

四、被告は原告鈴木市松に対し、別紙第一目録記載(四)の土地を明け渡し、同地に対する昭和二十二年五月一日以降同二十三年十月十日迄は坪当月額金四銭の割合による、同年同月十一日以降同二十五年七月三十一日迄は坪当年額金五円六十三銭の割合による、同年八月一日以降明渡済に至る迄は坪当月額金一円十三銭の割合による金員を支払え。

同原告その余の請求を棄却する。

五、被告は原告徳恩寺に対し、別紙第一目録記載(五)の土地のうち北部の一画を除いた部分(別紙図面Gの部分からQ3の部分を除いた残余)十八坪六合を明け渡し、同地に対する昭和二十二年五月一日以降同二十三年十月十日迄は坪当月額金四銭の割合による、同年同月十一日以降同二十五年七月三十一日迄は坪当年額金五円六十三銭の割合による、同年八月一日以降明渡済に至る迄は坪当月額金一円十三銭の割合による金員及び前記北部の一画(同図面Q3の部分)五坪に対する昭和二十二年五月一日以降昭和三十一年一月十日迄前記と同じ割合による金員を支払え。

同原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分しその一を原告等の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は原告等各自勝訴の部分に限り、原告鈴木清吉において金二十万円の、原告鈴木貞雄同鈴木清平において各金十五万円の、原告鈴木市松において金五万円の、原告徳恩寺において金二万円の担保を供するときはそれぞれ仮に執行できる。

事実

第一、当事者の申立

一、請求の趣旨

(一)  被告は別紙第二目録記載の各物件を収去して、同第一目録記載の土地のうち、

(一)の土地千四十七坪二合二勺を原告鈴木清吉に、

(二)の土地六百二十六坪四合四勺を同鈴木貞雄に、

(三)の土地四百八十二坪五合七勺を同鈴木清平に、

(四)の土地百五十九坪一合八勺を同鈴木市松に、

(五)の土地二十三坪六合を同徳恩寺に、

それぞれ明け渡すこと。

(二)、被告は

(1)  原告鈴木清吉に対し右(一)の土地千四十七坪二合二勺に対する

(2)  同鈴木貞雄に対し右(二)の土地六百二十六坪四合四勺に対する

(3)  同鈴木清平に対し右(三)の土地四百八十二坪五合七勺に対する、

(4)  同鈴木市松に対し右(四)の土地百五十九坪一合八勺に対する

(5)  同徳恩寺に対し右(五)の土地二十三坪六合に対する

それぞれ昭和二十二年五月一日より同二十三年十月十日までは、一カ月坪当り金四銭の割合による、同年同月十一日より同二十五年七月三十一日までは一カ年坪当り金五円六十三銭の割合による、同年八月一日より右各土地明渡済に至るまで一カ月坪当り金一円十三銭の割合による金員(いずれも円位未満切捨)を支払うこと。

(三)、被告は

原告鈴木清吉に対し金五十二万七千六十四円を

同鈴不貞雄に対し金十二万六千二百二十五円を

同鈴木清平に対し金十六万六千八百九十円を

同徳恩寺に対し金一万一千八百円をそれぞれ支払うこと。

(四)、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求める。

二、答弁の趣旨

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

との判決を求める。

第二、当事者の主張

請求の原因

一、昭和十六年九月一日

(一)  原告鈴木清吉はその所有に係る

(イ) 横浜市港北区恩田町井戸久保二千百十四番、畑九畝十四四歩-二百八十四坪

(ロ) 同所二干百十六番の一、畑七畝十六歩-二百二十六坪のうち西部の一画を除いた部分五畝十三歩-百六十三坪

(ハ) 同所二千百十二番、畑七畝歩-二百十坪の内東南部の一画を除いた部分六畝八歩-百八十八坪

(ニ) 同所二千百十三番の一、畑六畝十二歩-百九十二坪

(ホ) 同所二千百十七番の一、畑四畝一歩-百二十一坪

(ヘ)同所二千百三十二番、畑一反一畝歩-三百三十坪のうち西寄の一部六畝四歩-百八十四坪

以上合計千百三十二坪を、

(二)  原告鈴木貞雄はその所有に係る

(ト) 同所二千百二十二番、畑七畝十五歩-二百二十五坪

(チ) 同所二千百二十三番、畑六畝九歩-百八十九歩

(リ) 同所二千百二十一番の一、畑五畝八歩-百五十八坪のうち西部の一画を除いた部分約九十四坪

(ヌ) 同所二千百二十四番、畑三畝十七歩-百七坪

(ル) 同所二千百二十五番、畑五畝十一歩-百六十一坪のうち東部の一画を除いた部分約五十七坪

以上合計六百七十二坪を、

(三)  原告清平はその所有に係る

(ヲ) 同所二千百二十番、畑一反四畝二十五歩-四百四十五坪のうち西南部の一画並に西北部の一画を除いた部分約三百六十七坪を

(四)  原告市松はその所有に係る

(ワ) 同所二千百二十一番の二、畑五畝八歩-百五十八坪のうち西部の一画を除いた部分百二十二坪を

(五)  原告寺はその所有に係る

(カ) 同所二千百十九番の三、畑三畝十九歩-百九坪のうち中央の一画十七坪を

それぞれ軍に対し陸軍兵器補給廠工員宿舎用の建物所有の目的で賃料坪当り一カ月金四銭その経過した月分を翌月初に支払う約定で支那事変終了迄という期限付で賃貸した。

二、ついで昭和十七年十二月十二日

(一)  原告清吉はその所有に係る前記(ヘ)記載の土地の残部の東部を南北に帯状に連らなる四十坪九合三勺

(ヨ) 同所二千百十五番、田一畝十四歩-四十四坪のうち北側の一画を除いた部分二十坪三合

右二口合計六十一坪二合三勺を

(二)  原告清平はその所有に係る前記(ヲ)の残部のうち西北の一部二十六坪九合を、

(三)  原告寺はその所有に係る前記(カ)の残部の一画十六坪八合を

それぞれ軍に対し賃料は契約をした日から計算して半年毎に分割してその期間経過后速やかに支払うこと賃貸期間右契約の日より軍の必要期間までその他は前記と同一内容の賃貸借契約を締結した。

三、軍は右契約にもとずいてその借受田畑をつぶして地均らしを施こし、これを敷地としてその地上に別紙添付第二目録記載の建物の外数棟の建物を建設所有し、附近の部隊に徴用された軍属である徴用工員をこれに収容した。

その後昭和二十年八月十五日終戦となり本件賃貸借契約も期限の到来によつて終了した。ついで間もなく軍も解体され、本件建物の管理は大蔵省の管下に引き継がれた。

四、以上の次第であるから、被告は右賃貸借終了の効果として各原告に対し借地上に存す工作物一切を収去してこれを原状に復した上それぞれ明け渡すべき義務がある

原告等は度々被告に対し右義務の履行方を督促した結果、漸く昭和二十一年九月末日迄に前記土地の一部である

(一)  原告清吉から借り受けた土地のうち前記(ヘ)の土地の全部(イ)と(ロ)の土地のうち各東部の一画この実測面積合計百十一坪八合一勺(別紙図面Cの部分)並に同(ホ)の土地のうち東北部の一画この実測四十九坪六合七勺(別紙図面Aの部分)

右三口合計三百四十五坪四合八勺を

(二)  原告鈴木貞雄から借り受けた土地のうち前記(メ)、(ル)の土地のうちそれぞれ東部の一画合計百六十四坪から西部の一画二十九坪六合(別紙図面Kの部分)を除いた部分この実測百三十四坪四合(同図面Jの部分)を

それぞれ明け渡しただけでその他は依然これを占有し、別紙第二目録記載の建物を所有することによつて第一目録記載の土地を占有しているので、被告は、

(一)  原告に対し賃貸借終了の効果として地上建物を収去してこれを原告等に明け渡すべき義務がある。しかのみならず

(二)  昭和二十二年五月一日以降(同年四月分までは受取済)昭和二十三年十月十日までは相当賃料と目すべき一カ月坪当り金四銭の割合による、同年同月十一日以降昭和二十五年七月三十一日迄は昭和二十三年物価庁告示第一〇一二号によつて修正された坪当り一カ年金五円六十三銭の割合による昭和二十五年八月一日以降明渡済に至るまでは同年物価庁告示第四七七号によつて修正された一カ月坪当り金一円十三銭の割合によるそれぞれ賃料相当の損害金(いずれも円位未満は切捨)を原告等に支払うべき義務がある。

なお、原告等は従来期限の到来を理由に地上建物の収去等を求めているが、これは本件の賃貸借が一時使用の為め設定されたものであることを前提としているものである。

仮りに一歩譲つて右賃貸借が一時使用の為め設定されたことが明らかでないとしても、右契約には正当の事由があるときには賃借人は右契約を解除することができる旨の特約があつたので、右特約にもとずいて原告等はそれぞれ被告に対し昭和二十一年九月頃右賃貸借解除の意思表示をしたので、本件賃貸借は終了したものである。

仮りに右特約は借地法に違反するもので無効なりとするも、原告等と被告間に昭和二十一年九月十二日本件賃貸借を解除する旨の合意が成立したので、この合意解約を原因として本件地上建物の収去、土地の明渡等を請求するものである。

五、なお終戦後間もなくから原告等は東京財務局国有財産部第一管理課長飯橋某並に同局神奈川管財出張所長林某に対し、被告が本件土地を借り受けて建物の敷地とする為め当時田畑として耕作していた土地をつぶして耕作不能になつたのでその復旧費を要求した結果昭和二十一年九月頃右両名は被告の代理人として原告等に対し返還すべき土地について、之を原状に直す復旧費を時価をもつて支払うべき旨を約した。又当時においては該復旧費は坪当り金十円を相当と認めて之を支払う旨も併わせて約束したので、当時明渡を受けた。

(一)  原告鈴木清吉分三百四十五坪四合八勺

(二)  原告鈴木貞雄分百三十四坪四合

については右割合によつて算出した金額即ち原告鈴木清吉は三千四百五十四円(円位未満切捨)を同鈴木貞雄は千三百四十四円を請求する権利有るものとする。

また現在に於いては該復旧費は少くとも坪当り金五百円を下らないので

(一)  原告鈴木清吉は未だ引渡を受けざる千四十七坪二合二勺に対する右割合によつて算出した金五十二万三千六百十円の

(二)  原告鈴木貞雄は未だ引渡を受けざる六百二十六坪四合四勺から現況田の三百七十三坪九合九勺を控除した残り二百五十二坪四合五勺に対する前記割合によつて算出した金十二万六千二百二十五円の

(三)  原告鈴木清平は未だ引渡を受ざる四百八十二坪五合七勺の内現況田百四十八坪七合九勺を控除した残三百三十三坪七合八勺に対する右割合によつて算出した金十六万六千八百九十円の

(四)  原告徳恩寺は未だ引渡を受けざる二十三坪六合に対する右割合によって算出した金一万一千八百円の

復旧費を各支払う義務あるものである。

よつて請求の趣旨記載の判決を求めるものである。

請求の原因に対する答弁

一、請求原因第一、二項の事実は認める。

二、請求原因第三項のうち、本件土地に関する賃貸借契約が終戦とともに直ちに終了したことは否認するが、その余の事実は認める。

三、請求原因第四項のうち、被告が原告等に対してその主張の時期にその主張の土地を返還したこと、原告等が明渡を請求する土地のうち、別紙図面記載のF、H、Lの部分合計六百八十一坪九合六勺並びにPの部分二百十八坪三合六勺、Q1の部分二坪四合三勺、Q2の部分三十二坪八合八勺及びQ3の部分五坪を除く部分を未だ被告が返還していないこと、未返還の土地上に被告が原告等主張のごとき建物を所有していることは認めるが、その余の事実は否認する。

四、請求原因第五項のうち、被告が原告等に対してその主張のごとく復旧費の支払をなす旨を約した事実は否認し、その余の事実は知らない。

その事情は次のとおりである。すなわち、

原告等は、昭和二十一年九月頃、東京財務局国有財産部第一管理課長飯橋某、同局神奈川管財出張所長林某の両名が、時価をもつて支払うべき旨約したと主張するが、この事実は否認する。

このことは、当時東京財務局としては、土地の借上料並びに借上土地の原形復旧費に関しては、昭和二十一年二月十八日付の東京財務局長あて大蔵省国有財産部長の「土地借上料並ニ借上土地原形復旧費支払ニ関スル件」通牒(乙第二号証)にもとずいて処理していたものであり、従つて同通牒第二項に明示するとおり、原則として地上建物の使用者をして支払わしめる方針をとつていたもめであるから、原告等主張のような契約をするはずがない。また昭和二十一年九月の前記覚書にも、土地明渡の期限明渡までの賃料の支払方法等の協定がなされているにかかわらず、復旧費については、原被告間に何等の取り決めも記載されていない点からもこのことが窺われるのである。原告のこの点に関する請求は理由がないと考える

抗弁

一、被告は原告等が明渡を請求する土地のうち、前記F、H、Lの部分六百八十一坪九合五勺は原告等に昭和二十一年九月末日頃返還済みであるから、この部分についての原告等の明渡の請求は失当である

その事情は次のとおりである。すなわち、

(一)  本件土地は、戦時中、原告等主張の日時に、旧陸軍が、陸軍東京兵器補給廠田奈分廠南寮宿舎用敷地として、原告等より賃借し工員の宿舎を建て、使用していたものであるが、終戦後軍が解体し、その補給廠も廃庁となるに及び、右建物は、公用廃止の措置がとられたが、終戦時の混乱にまぎれて、多数の朝鮮人が占拠するに至つた。しかるに、右建物は、一九四五年(昭和二十年)九月二十四日付の連合軍最高司令官の覚書により、日本軍隊の施設として占領軍に引き渡されたが、占領軍は建物内に多数の朝鮮人が居住することを認めた。その後昭和二十一年三月、右居住者の組織する朝鮮連盟神奈川県長津田支部は、本件建物を、朝鮮人の居住施設、教育施設及び聯盟事務所等に使用する目的で、被告(当時所管庁東京財務局)に対しその払下を申請した。当時、旧軍用財産で、占領軍より返還を受けた建物については、大蔵省においてこれを払い下げ得ることとなつていたので、被告は、本件建物の返還を占領軍に対して求めたが、許可されなかつた。

(二)  昭和二十一年七月頃、原告等は、東京財務局に対し、本件土地の明渡と、復旧費の支払を求めたので、同年九月十二日、被告は原告等の代表者及び前記朝鮮聯盟の代表者等と協議のうえ、土地の明渡及び賃料の支払について、覚書(乙第一号証)を取り交わした。当時、原、被告及び聯盟間に成立した契約によれば、本件土地を二分し、その一部たる第一地区(乙第一号証添附図面参照)は、同月末日限り聯盟において、原告にこれが明渡をなし、昭和二十一年四月一日より同年九月末日までの地代を聯盟より支払うこととし、また残余の第二地区は、昭和二十二年四月末日までに明け渡し、その地代は、聯盟、地主間で別途これを取り決めることとした。

(三)  その後聯盟は約旨に従い、右第一地区より退去してこれを原告等に明け渡しかつ約旨に基く賃料を支払つた。第一地区上の建物は、占領軍より被告に返還され、解体を了えているので、原告等は、これを使用収益して現在に及んでいる。しかるに、右第二地区については、聯盟は期日までの賃料を支払ったのみで、期日に退去せず、昭和二十四年九月の朝鮮聯盟の解散後も、依然としてこれを占拠して今日に及んでいる。

(四)  ところで、右の第二地区上の本件建物は、昭和二十七年四月二十八日の講和条約発効に至るまで、遂に占領軍から返還されなかつたが、条約発効とともに、被告において完全にその管理権及び処分権を回復した。しかしながら、本件建物内の居住者は、いずれも朝鮮人で、その数も多く、かつ貧困等の理由で他に転居先もなく、占領期間中占領軍よりその居住を認められてきた関係上、現在退去するに到つていない。

(なお、右のうち、第一地区というのは前記六百八十一坪九合五勺を含む。)

二、また被告は、原告鈴木清吉に対し、昭和三十年九月十三日前記Pの土地二百十八坪三合六勺を、昭和三十一年一月十日前記Q1の土地二坪四合三勺を明け渡しており、原告鈴木清平に対し前記Q2の土地三十二坪八合八勺を、原告徳恩寺に対し前記Q3の土地五坪をいずれも昭和三十一年一月十日に明け渡しているから、この部分についての右原告等の明渡請求も失当である。

抗弁に対する答弁

一、被告の抗弁事実のうち一の点は否認する。すなわち、昭和二十一年九月十二日被告主張の通り土地の明渡並びに賃料の支払について原被告が朝鮮聯盟神奈川県長津田支部を加え三者間に明渡に関する契約が出来たことは認めるが、右契約にある第一地区のうち、F、H、Lの部分合計六百八十一坪九合五勺の明渡は履行されず、そのため第一地区に属する土地内でも原告主張のような未返還地が残存するにいたつた。被告は右第一地区は全部原告等において現在使用収益していると主張しているがそのような事実なく、依然として第二地区内にある建物に居住する朝鮮人等が占有使用しているものである。

二、同二の点は認める。

第三証拠方法〈省略〉

理由

原告等は昭和十六年九月一日陸軍省に対し各自の所有にかゝる請求原因一、記載の各土地(以下仮に甲地と総称する)を、陸軍兵器補給廠工員宿舎用の建物所有の目的で賃料並びにその支払時期を原告等主張のとおり定め、支那事変終了迄という期限附で賃貸したが、原告鈴不清吉同鈴木清平同徳恩寺は陸軍省に対し昭和十七年十二月十二日更に請求原因二、記載の土地(以下仮に乙地と称する)のうち各自の所有する地域を、使用目的は右と同様賃料並びにその支払時期を原告主張のとおりに定めなお存続期間を右契約の日より軍の必要期間として賃貸したことは当事者間に争がない。

一、建物収去、土地明渡の請求について

原告等は右の賃貸借は一時使用の目的のため設定されたものであるから昭和二十年八月十五日の終戦と同時に期限の到来により終了した旨主張する。この主張は要するに右の期限に関する特約は借地法第二条第四条以下の規定に牴触するが一時使用を目的として設定された借地権であるから右の特約の効力は維持さるべきであることを前提としているものと解せられる。しかしひるがえつて考えてみると、同法第十一条において明示するとおり前記の諸規定に反する契約条件が無効とせられるのは借地権者にとつて不利なものに限られるこというまでもない。そしてある契約条件が借地人にとり不利益となるかどうかの判断は、経済的劣位に在る借地人の社会生活関係の保障を主たる目的とする同法第十一条の法意にかんがみ具体的、実質的にすべきこと論を俟たない。そこで前記の各不確定期限について検討を加えるに、成立に争のない甲第一、第三、第四、第六、第七号証、昭和二十四年六月一日付準備書面及び昭和二十九年二月九日付準備書面の各添附図面及び証人鈴木正信の証言(第一回)並びに弁論の全趣旨を綜合して認められる陸軍省が最初即ち昭和十六年九月一日賃借した土地は甲地を含めて、略々中央に道路を距てて南北に連なる一団の地域であり、ついで昭和十七年十二月十二日同一使用目的のもとに借り増した乙地含む地域はいずれも右の地域に接続し面積も狭少な地域であり、この借り増した地域のみ独立しては陸軍兵器補給廠工員宿舎の敷地として使用しうべくもない関係にあこと、前記各証拠及び成立に争のない乙第一、第五、第六号並びに検証の結果を綜合して認められる陸軍省は借り受けた前記各地域に建物十棟余を建築し同地を一体として敷地として使用し終戦を迎えたこと、以上の事実と弁論の全趣旨を綜合すると、陸軍省が最初甲地その他を借り受けた後間もなく太平洋戦争が開戦となり昭和十七年十二月乙地その他借り増した当時は、既に戦局は支那事変から太平洋戦争へと転展推移していた事情もあつて賃貸借の終期も最初の賃貸借の例にならわず当面の軍事、政治等の諸般の情勢にかんがみ軍の必要がなくなる迄と定めたのであるが、同時に最初の賃貸借についてもまたその終期を右と同様とする旨の合意(少くとも暗黙の合意)が成立したものと認めるのが相当である。このようにあるいは太平戦争が終了し、或は陸軍兵器補給廠(東京陸軍兵器廠田奈分廠)を軍政乃至軍略上の必要から他に移転する関係上その他の理由から前記の土地を工員宿舎の敷地として使用する必要がなくなつた場合は賃貸借の終期が到来する旨の不確定期限を附することは、借地人たる国(陸軍省)にとつて実質的に何等の不利益をもたらすものではない。されば右の期限の特約は同法第十一条にいう「借地権者に不利なる」「契約条件」には該当せず有効たるを失なわないものというべきである。その後終戦となり昭和二十年九月二日政府は降伏文書の調印によりポツダム宣言を受諾したことは顕著であるからここに甲地及び乙地を使用する本来の目的は消滅し前記賃貸借は期限の到来により終了し被告は地上に存する前記建物を収去の上これを原告等に明渡すべき義務を負うこととなつた。と断定せざるを得ない。

被告は、(一)昭和二十一年九月十二日甲地及び乙地の返還について、地主である原告等の代表者、前記建物に居住していた朝鮮人の代表者及び被告の間に甲地及び乙地のうち、別紙図面記載F、H、Lの各地域を含む南側の部分(仮に第一地区と称する)は同月末日限り右建物居住者において原告等地主に明け渡し、残余の北側の部分(仮に第二地区と称する)は昭和二十二年四月末日限り明け渡す旨の合意が成立したが、右建物居住者はその後約旨に従い第一地区から退去してこれを原告等に明け渡し、(二)被告は第二地区のうち別紙図面記拠Pの地域は昭和三十年九月十三日、同Q1Q2Q3の地域は昭和三十一年一月十日それぞれ地主である原告等に返還した旨抗弁するのでまず前記(一)の点について審究するに、昭和二十一年九月十二日前記三者間に前記のような内容の合意が成立したことは当事者間に争がない。(被告は、この合意成立後も引き続き第一地区の一部並びに第二地区上に建物を所有して同地を敷地として占拠していたことは後に認定する事実に照らし明らかであり、また被告は昭和三〇年と同三一年の二回に亘り右第一地区の各一部を地主たる原告等に返還したことは当事者間に争がなく、以上の事実と弁論の全趣旨を綜合すると、以上の三者間の合意は、第一、第二、地区の明渡義務者たる被告に代わつて履行をなすべき第三者(講学上いわゆる履行代用者)を定めたものにすぎないものと認むべきであるから、被告の本来の債務には何等影響するところがないものと考える)そして前記乙第一号証昭和二十九年二月九日付準備書面添附図面及び証人鈴木嘉啓(一部)、鈴木正信(第一、第二回但し第二回は一部)、飯橋晴源の各証言、原告鈴木貞雄の供述を綜合すると、第一地区のうち前記FHLの部分を除くその余の部分に存した建物は昭和二十一年十月頃前記居住者等によつて取毀の上撤去され、FHLの部分に存した建物はその後同様に撤去されたことが認められる(前記両鈴木証人並びに証人斎藤千歳の証言のうち右認定に抵触する部分は信用しない)けれどもFHLの地域が右居住者等の手により原告等に引渡されたという点についてはこれを肯認するに足る何等の資料も見出しえない。却つて前記証拠並びに弁論の全趣旨(特に本件検証現場における立会人金春成の供述)を綜合すると同地域は建物撤去の後朝鮮人経営の学校の運動場として使用され、学校閉鎖後は再び前記居住者等の農耕の用に供されて現在に至つていることが認められる(前記両鈴木証人の各証言のうち右認定に抵触する部分は信用しない)。なお証人斎藤千歳は、前記居住者によって組織された朝鮮聯盟神奈川県長津田支部が第一、第二地区に存する建物を撤去すると前記三者間の合意にもとずいて当然に原告等に返還されたことになる旨証言するけれども右の合意によりこのような法律効果を生ずる根拠については何等証言するところなく本件に顕われた一切の資料によつても右の根拠を認めることができない。次に前記(二)記載のPQ1Q2Q3の地域に関する返還の抗弁については原告等の認めるところである。そうすると原告等の本訴請求のうち建物収去土地明渡を求める部分は請求の趣旨記載の土地(原告鈴木清吉は被告に対し明渡を求める土地の範囲につき昭和二十九年五月二十二日の準備手続期日において別紙第一目録(一)記載のとおり述べたが、そのうち「前記(イ)(ロ)(ホ)合計四百六坪五合二勺(但し実測五百八十六坪八合八勺-図面Bの部分)」と述べたのは一部錯誤による陳述であつて右請求の本来の趣旨とするところは右の(イ)(ロ)(ホ)の地域及び横浜市港北区恩田町字井仁久保二千百十五番一、田一畝十四歩のうち二坪四合三勺以上の実測面積合計五百八十六坪八合八即ち別紙図面記載Bの部分であったことは前記甲第二号証の添附図面、昭和二十四年六月一日付準備書面及び昭和二十九年二月九日付準備書面の各添附図面を比較検討し更に弁論の全趣旨を綜合して肯認しうるところである)のうち前記PQ1Q2Q3の地域を除くその余の地域については正当として認容すべきであるが、PQ1Q2Q3の地域については失当として棄却を免れない。

二、遅延損害金の請求について

政府が終戦後の昭和二〇年九月二日、降伏文書の調印によりポツダム宣言を受諾するとともに不確定期限の到来によつて原告等と国(陸軍省)との間の賃貸借は終了し被告は甲地及び乙地を原告等に返還すべきこととなつたことは前掲のとおりである。即ち被告の返還義務はその履行につき不確定期限ある場合に該当するのであるが陸軍省においては右同日、ポツダム宣言受諾により最早右の土地に対する軍の必要性は失われ期限が到来したことを知つたものと認めるが相当であるから、爾後遅滞の責を免れないものというべきである。もつとも吾国は昭和二十年九月二日降伏文書の調印により連合軍の占領管理下におかれたことは公知のとおりであり、成立に争のない乙第三号証前記乙第五号証及び証人斎藤千歳の証言並びに弁論の全趣旨を綜合すると、当時前記土地に存した前掲の十棟余の建物は昭和二十年九月二十四日付連合軍最高司令部の日本政府に対する覚書(その内容は乙第二号証記載のとおり)によりその頃旧日本軍の施設として連合軍へ引き渡されたが、昭和二十七年四月二十八日平和条約の発効により吾国が事実上連合軍の占領から解かれる迄の間右建物については政府への返還手続がとられなかつたことが認められる。そうすると同建物が連合軍に引き渡されてより平和条約が発効する迄の間、この建物に対する管理権は連合軍に帰属し(前記覚書その他軍用物資の引渡民需用の軍需物資の返還に関連する指令、海牙の陸戦条規第五五条参照)、政府は勿論、日本国内に居住する前掲の朝鮮人と雖も、右建物を解体撤去しよつて連合軍の権利を侵害することは許されないものといわなければならない。そうすると前記の土地にこの建物が存在する限り、被告の土地返還義務は不可抗力により一時(即ち建物に対する連合軍の管理権の存する期間)履行不能となつたことになる。

しかしながら履行遅滞後、不可抗力によつて給付が一時不能となつた場合についてはわが民法上直接の規定はないが信義則上遅滞の責は依然免れないものと解するのが相当である。(もつとも前記のような三者間の合意にもとずく、いわゆる履行代用者たる建物居住者の給付も、被告同様一時不能となつたことは前掲事実に徴し明らかであるが、右の合意の成立によつて被告の本来の債務には何等の影響を及ぼすものでないことは前に判断したとおりであるから、右の履行代用者に遅滞の責があるとなかろうと被告が前記遅滞の責を負うことに何のかわりもない)。そうすると被告は昭和二十年九月二日以降前記土地の明渡義務不履行により原告等に対し相当賃料同額の損害を与えたものというべくこれが賠償として原告等が求める坪当月額及び年額は前掲の約定賃料、昭和二三年一〇月九日物価庁告示第一〇一二号昭和二五年八月十五日物価庁告示第四七七号及び甲第九乃至第一四号証(いずれも土地台帳謄本)に徴し相当と認められる。よつて原告等の本訴請求のうち、土地明渡義務不履行にもとずく損害賠償を求める部分は、請求の趣旨記載の土地に対する昭和二十二年五月一日以降昭和二十三年十月十日迄坪当月額四銭の割合による、同年十月十一日以降昭和二十五年七月三十一日迄坪当年額五円六十三銭の割合による各金員及び請求の趣旨記載の土地のうち、(一)別紙図面記載のPの地域に対する昭和二十五年八月一日以降昭和三十年九月十三日迄、(二)同Q1Q2Q3の地域に対する昭和二十五年八月一日以降昭和三十一年一月十日迄、(三)その余の地域に対する昭和二十五年八月一日以降明渡済に至る迄それぞれ坪当月額一円十三銭の割合による金員の支払を求める限度において正当として認容すべきであるがその余は失当として棄却を免れない。

三、いわゆる復旧費の請求について

原告等(但し鈴木市松を除く)は、財務局国有財産部第一管理課長飯橋某及び同財務局神奈川管財出張所長林某は昭和二十一年九月頃被告の代理人として原告等に対し同人等に返還すべき甲地及び乙地についてこれを原状即ち田、畑に直す復旧費を時価をもつて支払う旨並びにこの復旧費は当時においては坪当一〇円を相当と認めてこれを支払うことを約した旨主張するが、この主張の趣旨に副う証人鈴木正信(第一回)鈴木昌治(第一 第二回)の各証言及び原告清吉の各供述は後掲証拠と比較検討するとにわかに信用しえない。かえつて証人鈴木正信(第二回)、鈴木昌治(第一、第二回いずれも前記信用しない部分を除く)、鈴木嘉啓、林泰彦、斎藤千歳(一部)、飯橋晴源の各証言及び原告鈴木清吉の供述(前記信用しない部分を除く)を綜合すると、原告鈴木清吉等は終戦後甲地及び乙地の返還並びに同地の原状即ち田畑への回復費用の支払につき東京財務局神奈川管財支所長林泰彦及び同支所の事務官斎藤千歳等と交渉を重ねてきたが、昭和二十一年九月十二日同原告及び原告鈴木貞雄は訴外鈴木正信、鈴木昌治とともに東京財務局に赴き、前記林、斎藤両名と前記復旧費の支払につき折渉したが金額の点で双方の主張に相当の距りがあり遂に折合がつかず右林等は原告等に対し後日東京財務局宛請求書を前記支所に提出するよう申し出で、請求書は原告鈴木清吉から提出されたが右財務局の幹部は未だこの請求に応じない侭現在に至つていること、右復旧費の支払いに関する交渉等について被告の代理権を有する東京財務局国有不動産部第一管理課長補佐飯橋晴源は覚書(乙第一号証)には捺印したけれども、復旧費の支払に関する原告等との前記交渉には立ち会つていなかつたこと、前記林及び斎藤には前記のような代理権はなかつたこと、以上の事実が認められる。従つて原告等(但し鈴木市松を除く)の復旧費の支払を求める本訴請求は全部理由がないから棄却すべきである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 掘田繁勝 海老原震一 石崎政男)

第一、第二、第三目録〈省略〉

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